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最高裁判所第一小法廷 昭和51年(行ツ)24号 判決

上告人

文部大臣

小川平二

右訴訟代理人

村松俊夫

秋山昭八

石原豊昭

外二名

右指定代理人

柳川俊一

外八名

被上告人

家永三郎

右訴訟代理人

森川金寿

尾山宏

新井章

外三二名

主文

原判決を破棄する。

本件を東京高等裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人村松俊夫、同秋山昭八、同石原豊昭、同鈴木稔、同平井二郎、上告指定代理人貞家克己、同近藤浩武、同渡辺剛男、同中島尚志、同畦地靖郎、同奥田真丈、同菱村幸彦の上告理由第一点について

本件各検定不合格処分にかかる図書の著作者である被上告人は右処分の取消しを訴求する適格を有するとした原審の判断は、その説示に照らし、正当として是認することができる。論旨は、採用することができない。

同第三点について

論旨は、要するに、本訴が昭和五一年三月三一日の経過により訴えの利益を喪失した、というにある。

一行政事件訴訟法に定める行政庁の処分の取消しの訴えは、その処分によつて違法に自己の権利又は法律上保護されている利益の侵害を受けた者がその処分の取消しによつて右の法益を回復することを目的とする訴えであり、同法九条が処分の取消しを求めるについての法律上の利益といつているのも、このような法益の回復を指すものと考えられる。換言すれば、違法な行政庁の処分がされ、そのために個人の権利ないし法律上保護されている利益が侵害されている場合に、その被害者からの訴えに基づいて右の処分を取り消し、その判決の効果によつて右の権利ないし法律上保護されている利益に対する侵害状態を解消させ、その法益の全部又は一部を回復させることが行政庁の処分の取消訴訟の目的であり、その意義なのである。したがつて、右のような法益の回復の可能性が存する限り、たとえその回復が十全のものでなくとも、なお取消訴訟の利益が肯定される反面、このような回復の可能性が皆無となつた場合には、たとえその処分が違法であつても、国家賠償法の規定に基づく損害賠償等の請求により救済を求めるのは格別、処分の取消しの訴えとしてはその利益を欠くに至つたものとしなければならない。

本件は、被上告人の著作にかかり、すでに上告人の検定を経た高等学校用日本史の教科用図書(以下「教科書」という。)の部分改訂に関する検定申請に対しこれを不合格とした上告人の処分の取消しを求める訴訟であるところ、このような不合格処分の取消しの訴えの利益は、検定に合格することによりその所期する内容の著作が教科書として出版され、採択されることとなる可能性を有していたのに、違法な不合格処分によつてその可能性が失われたので、右不合格処分の取消しによつて再びこのような可能性を回復することができるという点に存すると認められる。もちろん、不合格処分が取り消されても、当然に合格処分があつたことにはならないから、検定に合格することによつてはじめて生ずる法律上の地位の回復ということはありえないけれども、不合格処分が取り消されると、処分庁は改めて検定申請に対する合否の決定をしなければならないこととなり、合格処分によつて前記の法律上の地位を取得する可能性が出てくるのであつて、このような可能性の回復自体が右の不合格処分の取消しの訴えの利益を基礎づけるものとされるのである。このように、一般に申請に対する拒否処分の取消しの訴えの利益は、申請に対する許可、特許、認可等の処分によつて生ずべき法律上の地位の取得それ自体にではなく、このような地位取得の可能性の回復という点に存するのであるが、しかしこの両者の間には密接な関係があり、拒否処分の取消しの結果行政庁が当初の申請に対し改めて許否の決定をすべき拘束を受けることとなつても、すでになんらかの理由によつて適法にこのような許可等の処分をすることができず、ひいてはこれによる法律上の地位の取得自体が不可能となるに至つたと認められるような事由が生じた場合には、許可等の処分を受ける可能性の回復を目的とする拒否処分の取消しを求める訴えの利益もまた、失われるに至つたものといわなければならない。

二本件訴訟は、前記のように、すでに検定に合格した被上告人の著作にかかる教科書の部分改訂についての各検定申請に対する不合格処分の取消訴訟であるが、さきの検定合格処分は、当時施行されていた教科用図書検定規則(昭和二三年文部省令第四号、昭和五二年文部省令第三二号による改正前のもの。以下「検定規則」という。)、教科用図書検定基準(昭和三三年文部省告示第八六号)及び同検定基準により検定における審査基準の実質的内容とされている高等学校学習指導要領(昭和三五年文部省告示第九四号、昭和四五年文部省告示第二八一号による改正前のもの。以下「旧学習指導要領」という。)のもとにおいてされたものであり、また、本件各改訂検定申請に対する各検定不合格処分も、昭和四二年三月二九日、当時施行されていた検定規則、右検定基準及び旧学習指導要領等のもとにおいてされたものであるところ、記録によれば、その後旧学習指導要領は前記昭和四五年文部省告示第二八一号によつて全面的に改正され(以下、右改正後の高等学校学習指導要領を「新学習指導要領」という。)、昭和五一年三月三一日の経過により、旧学習指導要領は全面的に失効し、これに代つて新学習指導要領が実施されるに至つていることが認められる。

上告人は、右のように旧学習指導要領が全面的に改正された以上、もはや旧学習指導要領のもとにおける検定を経た教科書については改訂検定の余地がなくなり、したがつて、本件各検定不合格処分の取消しの訴えの利益は失われた旨主張するので、以下にこの点について検討する。(もつとも、旧学習指導要領が全面的に失効したのは原審の最終口頭弁論期日後のことであるから、上告審である当裁判所において前記事由を訴えの利益の問題として取り上げることができるかどうかという問題があるが、右の事由が本件各検定不合格処分の取消し自体を法律上無意味にさせるような性質のものであることにかんがみるときは、たとえそれが事実審の最終口頭弁論期日後に生じたものであつても、上告審裁判所において先決事項に関する問題としてこれをしんしやくし、本案前の裁判によつて訴訟を終結させることが許されるし、むしろそうすべきものと考える。被上告人は、上告審裁判所がこのような裁判をすることができるのは、訴えの利益喪失の原因とされるものが外形的に明確であるような例外的場合に限定されるべきである旨主張するが、そのように限定的に解すべき理由はない。)

三検定規則一〇条及び一一条の定める改訂検定とは、新規に検定を受ける新規検定に対し、すでに検定を経た教科書の内容を改訂しようとして全体のページ数の四分の一に満たない範囲内の改訂につき検定を受ける場合をいうものであるが、本来、検定の効力の及ぶ物的範囲は、検定審査の対象となつた教科書そのものに限られ、検定の効力は、改訂を加えた教科書には及ばないのであるから(検定規則九条)、検定を経た教科書(以下「検定ずみ教科書」ということがある。)の内容を部分的に改訂した教科書を教科書として使用に供するためには、本来なら改めてその全体につき検定を経なければならない筋合である。しかし、検定を経た教科書の内容を全面的に改訂するものではなく、単にその一部を改訂するにすぎない場合には、改訂と関係のない他の部分については前の検定の際に検定における審査基準に適合するものとの判定がされているのであるから、右審査基準そのものに変更がない限り、改訂の範囲が比較的小部分にとどまるものについては必ずしも改めて内容全体にわたつて審査をやり直すまでの必要はなく、かえつてそれは無駄な労力と費用を費やさせるにすぎないような場合も生じうることが明らかである。改訂検定の制度は、主として、このような無益な審査の重複を省略するため、一定の条件のもとに改訂を加えようとする箇所のみについて検定を実施し、これに合格すれば改訂内容を含む教科書の全体が検定を経た教科書としての効力を取得することになるものとした、いわば便法として設けられた特別の簡易検定手続というべきものと判旨考えられる。このような制度の趣旨に照らして考えると、改訂検定の手続は、検定規則上特にその旨を明示してはいないが、改訂しようとする検定ずみ教科書の検定当時の審査基準と改訂検定時のそれとが同一であることを前提とするものであり、その間に審査基準の変更があつた場合には、原則として、改訂部分についてのみされる改訂検定は許されず、改めて右改訂部分を含む全体について新しい審査基準による新規検定を受けなければならないものと解するのが相当である。けだし、検定制度の性質上検定は検定時における審査基準によつてこれを行うのが原則であるところ、もし右の場合に改訂検定が許されるとすれば、その検定は新審査基準によつて行われることとなるべく、そうすると、一体としての教科書中のある部分は新審査基準による検定を経たもの、他の大部分は旧審査基準による検定を経たものという検定ずみ教科書としての統一性を欠き、かつ、その性格の不明確なものを生じさせ、検定制度の趣旨に反する結果となると考えられるからである。

あるいはこれに対しては、審査基準が変更されても旧審査基準のもとで検定を経た教科書は当然に検定ずみ教科書としての効力を失うものとはされておらず、そうである以上、旧審査基準のもとにおける検定を経た教科書としてその部分改訂を施すことも当然には無意味、無用ということができないから、このような改訂を希望する者に対してはその途を開いてしかるべきであるとの議論がされるかも知れない。つまり、明文の反対規定が存しない以上、改訂検定はこのような旧審査基準による部分改訂についての検定をも含み、これを許すものと解すべく、殊に旧審査基準がなお効力を有していた当時に改訂検定の申請がされていたような場合には、そのような解釈をとることが必要であり、また、妥当でもあるというのである。確かに形式的にみればそのようにいえないこともないけれども、改訂検定が前記のような便法として認められた簡易検定手続であること、及び検定における審査基準が変更された場合には一般的にいつて新審査基準のもとで検定を経た教科書が教科書として利用されるのが検定制度の趣旨からは最も望ましいと考えられることに照らすと、単に審査基準が変更されても旧審査基準のもとで検定を経た教科書が検定ずみ教科書としての効力を失わないというだけのことから、かかる教科書についてわざわざ旧審査基準による改訂検定の途を開いてまでこれを存続させる特段の必要があるとは思われず、このことは右の改訂検定の申請が旧審査基準の失効前にされていた場合においても同様であるから、検定規則が一般的に前記のような意図を含有しているものと認めることは困難であるといわなければならない。それ故、右の議論は直ちに採用することができず、結局、教科書検定において審査基準が変更され、それが全面的に施行されるに至つた後は、原則として、旧審査基準のもとにおける検定を経た教科書についての新審査基準による改訂検定は、これを行うに由なきこととなるものと解するのが相当である。

判旨そうであるとすれば、前記のとおり旧学習指導要領は昭和五一年三月三一日の経過をもつて失効し、それに代つて新学習指導要領が全面的に実施され、これに伴つて本件各改訂検定申請に適用される審査基準も変更をみるに至つたのであるから、仮りに本件各検定不合格処分が取り消されても、昭和五一年四月一日以降は原則として本件各改訂検定申請につき新たに審査をすることは許されないこととなり、その結果被上告人は本件各検定不合格処分の取消しによつて回復すべき法律上の利益を失うに至つたものということにならざるをえない。

(なお、被上告人は、以上において論及した点のほかに、本件訴えの利益を基礎づける事由として、教科書は一般に幾度も改訂を重ねてゆくもので、同一の教科書についての著作者ないしは出版者と検定機関との関係は継続的関係としてとらえられるべきものであり、一度不合格とされた記述内容については著作者はその後同一内容の記述をする自由を拘束される反面、それが合格とされればこのような自由を取得ないし回復することができる結果になるのであつて、本件においても、本件各検定不合格処分が取り消されれば被上告人において当該内容の記述についての自由を取得ないし回復する可能性を生ずることとなるから、右処分の取消しを求める訴えの利益を失わない旨主張する。しかし、新学習指導要領のもとにおける新規の検定において合格となるかどうかは旧学習指導要領のもとにおけるそれとは全く別個独立に決定されるものであつて、旧学習指導要領のもとでの検定においては合格とされた記述が当然に新学習指導要領のもとでの検定においても合格とされる法律上の保障は全くないし、また、逆に旧学習指導要領のもとでの検定における不合格処分は、それが確定してもその後にされる新学習指導要領のもとでの検定に対し格別確定力ないし拘束力を有するものではなく、著作者が同一内容の記述をしたものについて新学習指導要領のもとでの検定を申請し、不合格とされた場合に改めてこれを争うことを妨げないのである。このように、本件各検定不合格処分が取り消されても、被上告人は本件内容の記述の自由を法律上保障される可能性を回復するわけではなく、右記述が今後の検定において合格とされる可能性は単なる事実上のそれにとどまるのであつて、このような事実上の利益だけでは本件訴えの利益を基礎づけるに足りるものとすることはできない。それ故、被上告人の右主張は、採用の限りでない。また、被上告人は、本件各検定不合格処分によつて被上告人の名誉や学問的信用が毀損されたから、これを回復するという意味においても本件各検定不合格処分の取消しの訴えの利益がある旨をも主張するが、検定不合格処分は、それ自体としては著作者の名誉や学問的信用に対する侵害的性質を有する処分とは認められないから、仮りに被上告人に事実上右のような被害が生じたとしても、これに対しては国家賠償法の規定に基づく損害賠償等の請求により救済を求めるのは格別、これをもつて行政庁の処分の取消しの訴えの利益を基礎づける理由とはなしえないこと、冒頭に説示したとおりであるから、これまた採用することができない。)

四しかしながら、右に述べたところはあくまで原則論であつて、学習指導要領の変更といつてもその内容及び程度は区々でありうべく、学習指導要領が教科書の検定における審査基準として機能する場面においても、右の変更が審査に及ぼす影響の内容及び程度にはさまざまな相違がありうると考えられ、その変動が微小であつて審査基準の実質的な変更とみるべきものが少ないような場合には、改めて新審査基準による新規検定を経なければならないとする実質的必要性に乏しく、旧審査基準のもとにおける検定を経た教科書をそのまま使用させ、あるいはこれにつき新審査基準による改訂検定を経て部分改訂をしたものを使用させることとしても、必ずしも教科書検定の趣旨、目的に反せず、また、その整合性、一貫性をそこなうこともなく、諸般の事情からみてそれが最も合理的と認められるような場合も想定されないではない。そして、もし右のような場合には例外的に新審査基準による改訂検定が許されるとの解釈が可能であり、かつ、本件の場合がこれにあたることが肯定されるとすれば、被上告人はなお本件各検定不合格処分の取消しの訴えの利益を失わないということができるのである。そこで、果たして右のような解釈が可能かどうか、また、本件の場合がこれにあたるかどうかであるが、この点につき的確な判断をするためには、更に改訂検定制度と審査基準の変更との関係についての検定審査の運用面からの考察を含むより具体的な究明と、本件学習指導要領の改正が本件教科書の記述に及ぼすべき影響の内容及び程度等についての検討を必要とするものと考えられる。しかるに、本件においてこれまでにあらわれた訴訟資料のみによつては未だ右の判断をするのに十分でなく、他方、当審において引き続きこれらの点についての審理をすることは適当でない。

以上の次第であるから、当裁判所は、その余の点についての判断を省略し、原判決を破棄したうえ、更に右の点の審理を尽くさせるため、本件を東京高等裁判所に差し戻すのを相当と考える。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇七条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(中村治朗 団藤重光 藤﨑萬里 本山亨 谷口正孝)

上告代理人村松俊夫、同秋山昭八、同石原豊昭、同鈴木稔、同平井二郎

上告指定代理人貞家克己、同近藤浩武、同渡辺剛男、同中島尚志、同畦地靖郎、同奥田真丈、同菱村幸彦の上告理由第一点 原判決が本件訴えにつき被上告人の原告適格を肯定したのは、行政事件訴訟法九条の解釈適用を誤つたものであつて、右の違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである。

一1 被上告人の本件訴えは、被上告人の著作に係る昭和四三年度用教科用図書高等学校日本史(第三学年用)改訂の原稿審査において、第一審判決主文第一項掲記(一)ないし(六)の改訂箇所について上告人が昭和四二年三月二九日付でした各検定不合格処分の取消しを求めるものであるが、原判決の認定した事実によれば、前記図書につき右の各改訂検定を申請した者は同図書の発行者である訴外株式会社三省堂であつて、被上告人本人は申請者でなかつたというのである。

一般に、行政処分の取消しを求めて裁判所に訴えを提起することができる者は、その行政処分によつて侵害された自己の利益を行政処分の取消しによつて回復し得る者でなければならず、そして、この利益とは、個々の法律が当該個人に対し個別的、具体的に保護しようとする法律上の利益であることを要する。申請を拒否する行政処分の場合には、その行政処分によつて侵害される利益は申請者の利益であるから、その行政処分の取消しによつて回復し得る法律上の利益を有する者も、原則として申請者のみに限られることになるのであつて、特に当該行政法規が行政処分をなすに当たり申請者とならなかつた第三者の利益をも保護することを目的とするものと解釈すべき特段の事情がない限り、申請者以外の第三者に法律上の利益は認められず、したがつて、かかる者からの出訴は許されないのである。

2 ところが、原判決は、「一般に申請にもとづいてなされる行政行為が拒否された場合に、その拒否の行政処分を不服とし、訴によつて同処分の取消を求めうる適格を有するのは、当初の行政行為を申請したものにかぎられることは控訴人主張のとおりである。」(二一丁表)と判示して、一般論においては上告人の主張を認めながら、教科用図書検定処分の場合には、教科用図書検定規則(昭和二三年文部省令第四号。以下「検定規則」という。)三条を根拠として、右とは別であるとする。すなわち原判決は、「検定規則三条においては、教科書とすべき図書の著作者または発行者は、その図書について教科書としての検定を申請することができる旨が定められている。このことからすれば、教科用図書の新規検定または改訂検定の申請がたとえ著作者または発行者のいずれか一方のみによつてなされたとしても、その検定合格処分の効果はその図書そのものについて生じ申請者とならなかつた他の一方にも当然に及ぶものと解され(る)」(二一丁表)ことを理由として、申請者とならなかつた他の一方にも原告適格が認められるべきであるとする。

しかし、検定規則三条は、申請者となり得る範囲を定めた規定であつて、検定処分の効果が及ぶ者の範囲を定めた規定ではないのみならず、同条が特に申請者とならなかつた他の一方の利益を保護することを目的としているものと解釈すべき根拠もない。したがつて、同条の規定を根拠として、申請をしていない他の一方の者に対しても処分の法的効果が及ぶと解するのは誤りである。

本件において、本件各改訂検定の申請者となつたのは、訴外株式会社三省堂であり、著作者である被上告人は申請者とならなかつたのであるから、本件各改訂検定申請が合格することによつてその法的効果を受けるのが訴外株式会社三省堂であることは明らかであるとしても、被上告人が処分の法的効果を当然に受けるいわれはなく、訴外株式会社三省堂が教科用図書の発行をすることによつて、著作者である被上告人は右訴外会社から出版契約上の債務の履行を受けるという間接的反射的効果を享受することがあるが、本件各検定合格処分によつて被上告人が受ける効果は、たかだかその程度にとどまり、その域を超えて検定処分の法的効果が被上告人に及ぶことはないのである。

この法理は、原判決のいうように合格処分の効果が、当該図書そのものについて生ずるものと見た場合でも、変わるものではなく、対物的効果を生ずることが直ちに申請者以外の者との間においても法的効果を生ずることとなるものとはいえないのである。要するに、申請者以外の者が法的効果を受ける旨の明文の規定はないのであるから、他の一方が受ける効果はせいぜい事実上の反射的効果にすぎないと解すべきである。

二1 仮に原判決が、著作者及び発行者のうち申請者とならなかつた他の一方の者も検定処分によつて事実的反射的効果を受けることから、それを理由としてその者に当事者適格を認める旨判示しているものとすれば(原判決は、「不合格処分の効果は、右申請者でなかつた他の一方の者にも当然に及ぶのであり、」としながら、それに引き続いて「少なくとも他の一方の者が改めて同一事項について別途検定申請をしても、新たに合格検定処分をえられる期待はありえないというべきである。」(二一丁裏、傍点上告人)と言い換えて、そこでは法的効果の次元ではなく事実上の次元の問題である「期待」の問題を取り上げているのであつて、このことからすれば、原判決は、単なる事実的、反射的効果を受ける者にも当事者適格を認める旨判示しているものとも解される。)、右の判断は行政事件訴訟法九条の解釈を誤るものである。

2 すなわち、行政事件訴訟において、原告適格が認められるのは、原則として処分の相手方のみに限られるのであつて、特段の事情のない限り第三者からの出訴は認められず、その必要もないのであり、また、単に処分の事実上の反射的効果が第三者に及ぶというだけでは、右にいう特段の事情の存在を認定し得る筋合のものでもないのである。処分の相手方ではない第三者に例外的に原告適格を認めるためには、更にその第三者をして処分の違法を争わせる現実の必要性があるかどうか、また、その者をして争わせることが最も適切であるか等の実質的な側面から検討されなければならない。

この特段の事情のある場合の一例が、いわゆる二重効果的行政処分(一個の行政処分であつて、二人以上の関係人を有し、そのうちの少なくとも一人以上が法的利益を与えられ、他の一人以上が法的不利益を課されるようなもの)である。この場合のように国民相互の利益が相反する場合について、最高裁判所は、一方では、既存の質屋営業者は第三者に対する質屋営業許可処分の取消しを求める法律上の利益を有しないとし(最高裁昭和三四年八月一八日判決・民集一三巻一〇号一二八六ページ)、他方では、既存の公衆浴場営業者は第三者に対する公衆浴場営業許可処分の無効確認を求める訴えの利益を有するとしており(最高裁昭和三七年一月一九日判決・民集一六巻一号五七ページ)、当事者適格の有無について一義的に確定した判断を下してはいない。

しかし、最高裁判所の判例が、相互の利益が相反する場合について、処分により不利益を受ける他の一方の側に、当然に訴えの利益を認めるに足りる特段の事情があると判断していないことは注目すべきであつて(これはまた、単に処分の効果が及ぶかどうかだけでは特段の事情の存否を認定し得ないことを示唆するものでもある。)、相互の利益が共通である場合には、右の「特段の事情」の有無は更に一層の検討を要すべきものといえよう。

すなわち、本件の場合は、訴外株式会社三省堂(発行者)と被上告人(著作者)とは本件不合格処分に対して利益が相反する者ではなく、逆に利益を共通する者であることに着目すべきである。いうまでもなく、原告適格は、当該行政処分を争うにつき、最も適切と思われる者に対して認められるべきものがあるが、利益が相反する場合には、当該行政処分によつて不利益を受ける側を保護すべきかどうかという問題が極めて尖鋭な形で問われてくるため、単に最も適切であるかどうかという観点からでは決し得ない側面が出てくる。しかし、本件のように利益を共通にする者の場合は、このような側面を考慮することなく、端的に最も適切な者は何びとであるかを問えば足りるのであつて、最も適切な者とは、利益を共通にする者のうち行政処分の相手方であることは明らかである。

これを要するに、処分の相手方と利益を共通にする者は、たとえ当該処分によつて利益を害されたとしても、処分の相手方に訴訟の維持追行を任せておけば十分であつて、別個に原告適格を認める必要性もない。農地買収処分の取消訴訟につき、当該農地の所有者の同居の親族の原告適格を否定した裁判例(熊本地裁昭和二七年八月二五日判決・行裁例集三巻八号一六二八ページ、山形地裁昭和二九年一二月一五日判決・行裁例集五巻九号二八八七ページ。なお、原田尚彦「訴えの利益」弘文堂一八ページは、右山形地裁判決に賛成する。)は、もちろん本件と事案を異にするものではあるが、この点につき参考となるものといい得るであろう。

3 また、そうすると、発行者又は著作者のいずれか一方の申請によつて検定不合格処分がなされた場合には、他の一方の者が改めて同一事項について別途検定申請をしても、新たに合格検定処分を得る見込みがなくなるとしても、元来、他の一方の者は、検定処分による利益を享受したいと思えば、いつでも申請者となつてその利益を受ける機会があつたのに、その自由意志によつて申請者とならなかつたものであるから、そのような者にまで処分を争う当事者適格を認めてこれを保護することを法が要求しているとは到底解することができない。したがつて、仮に本件不合格処分が検定申請者とはならなかつた被上告人に事実上の不利益を及ぼしたとしても、そのことだけでは被上告人に本件不合格処分を争う原告適格を認める理由とはなし得ないのである。

三 次に、原判決は、「発行者または著作者のいずれか一方の申請によつて検定不格処分がなされた場合にも、その不合格処分の理由が申請者自身に特有のものであるならば格別、その検定事項の内容にかかるものであるかぎり、その不合格処分の効果は、右申請者でなかつた他の一方の者にも当然に及ぶ」と判示して、不合格処分の理由が申請者自身に特有のものでないかどうかによつて、申請者とはならなかつた他の一方の者に訴えの利益が生ずるかどうかが決定されるとするが、行政処分を争う原告適格の存否は、当該行政処分の一般的抽象的性質から一義的に決定されるべきものであつて、処分の理由付けの仕方によつて原告適格に変動を生ずるということはあり得ない。もともと行政処分の理由、殊に拒否処分の理由には拘束力はないから、訴訟中に処分者が当初の処分理由とは異なる理由を主張することもできるのであつて、その場合、原判決の右判断が正しいとするならば、当事者の訴訟上の主張次第で原告適格に消長を来すという不都合な結果を生ずることとなるのであつて、右判断の失当であることは明らかである。

四 以上の次第で、申請者ではない被上告人に対して検定処分の及ぶ効果は法的効果ではなく、事実上の反射的効果であり、その場合は特段の事情がない限り訴えの利益を認めるべきではないのであるが、その特段の事情も認められない本件においては、被上告人が本件各改訂検定処分の取消しを求める法律上の利益を有しないことは明らかであり、この点において原判決は、行政事件訴訟法九条にいう「法律上の利益を有する者」の解釈適用を誤つた結果、原告適格が認められない場合について、その適格を認めた違法がある。

第二点 一〇条の規定に基づく改訂検定(以下原判決の用語例にならつて「部分改訂検定」という。)の合否判定基準に関する原判決の判断は、部分改訂検定制度の趣旨、目的、運用状況等について必要な審理を尽くさなかつた結果、検定関係法令の解釈を誤つた違法があるものであつて、この違法は判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。

一 原判決は、部分改訂検定の趣旨は、専ら改訂の結果が検定基準等に照らし教科用図書として適当であるか否かを判定するにあり、従前の教科書の内容等を改善向上させたか否かを判定するものではなく、改善の成果が認められなければ当該検定について合格処分をすることができないとの制約はあり得ないとして、部分改訂検定の合否の判定基準は、新規検定(検定規則五条、六条)の場合のそれと同一である旨の解釈を示し、部分改訂検定の場合には改訂による教科書内容等の質的向上の有無が合否の判定基準であるとの上告人の主張を排斥している。

右のような結論を導くに至つた理由として原判決が挙げているところを要約すると、

① 改訂がページ数の四分の一以上にわたる、いわゆる全面改訂の場合には、新規検定の場合と同じく、専ら改訂の結果が検定基準等に照らし教科用図書として適切であるか否かの判断によつて合否が決せられるのであつて、改善の有無は全く審査の対象外とされていること

② 検定規則一一条一項は、同規則にいう「改訂」の意義を定義するに当たり、「改善」をその要件に加えていないし、検定規則一条一項は、「教科用図書の検定は、その図書が教育基本法及び学校教育法の趣旨に合し、教科用に適することを認めるものとする。」と規定していることからすれば、部分改訂が全面改訂とその目的及び趣旨を異にする根拠を見いだすことはできないこと

の二点に尽きるのである。

しかしながら、右の判断過程には、以下に述べるとおり論理の飛躍と独断が随所にあつて、原判決の挙げる理由からは、直ちに原判決のような結論を導き出すことはできない。

1 検定規則一一条一項が同規則にいう「改訂」の意義を定義するに当たり、「改善」をその要件に加えていないことは、原判決の指摘するとおりであるが、もともと、同条項は、九条、一〇条及び一一条二項にいう「改訂」の意義を定めた規定であつて、九条の規定と相まつて、検定の効力の及ぶ範囲を画することにより、既に検定を経た図書に文章等の増減校訂、記述方法等の変更又は注解等を加除変更(以下これらを「変更」という。)を加える場合には更に別個の検定を受ける必要があることを明らかにするとともに、一〇条及び一一条二項の規定と相まつて、前記のような変更を加えた図書についての検定申請が一〇条の手続(いわゆる部分改訂検定)によるべきか、又は五条及び六条の手続(いわゆる新規検定)によるべきかを区分する作用を営むものである。このように、一一条一項の規定は、検定を経た図書に変更を加えたものについて、改めて検定を経ることの要否及びその検定申請の種類区分を定めるため、「改訂」の意義を、加えられた変更等の態様によつて形式的に定義したものにすぎないことにまず留意すべきである。

ところで、教科用図書の検定に関する法規及び基準には、(イ)検定の対象となる図書を決定することを目的とするもの(検定規則一条二項、一一条)、(ロ)検定申請に係る図書についてどのような見地から何を審査するかという、いわば審査の際のチェックポイントを定めることを目的とするもの(昭和三三年文部省告示第八六号教科書検定基準、昭和三三年文初教第五八六号教科用図書検定基準内規は、個別的、具体的な検定基準を定めている。なお、教科用図書検定基準は、その絶対条件の第二項目並びに必要条件の第一項目及び第三項目において、実質的な基準となる部分を学習指導要領に譲つているので、この限度で、学習指導要領も、内容についての実質的な検定基準となる。この学習指導要領は、学校教育法二〇条、三八条及び四三条並びに学校教育法施行規則二五条、五四条の二及び五七条の二に基づき、文部大臣によつて、別に教育課程の基準として定められ公示されるものであり、法的拘束力を有するものである。)、(ハ)当該図書が検定基準をどの程度満たせば検定に合格するかという合否判定の方法及び基準を定めることを目的とするもの(昭和四一年一二月五日教科用図書検定調査審議会決定「小学校用、中学校用および高等学校用教科用図書の検定申請原稿の調査評定および合否判定に関する内規」――乙第九号証)その他がある。検定規則一一条一、二項は、検定規則一〇条の規定に基づく改訂として取り扱う「改訂」行為の内容と範囲を定めたもので、前記(イ)の検定の対象となる図書を決定することを目的とする規定であり、改訂された結果が検定基準の要求する要素をどの程度まで満たせば改訂検定に合格するかという価値判断の基準となる前記(ハ)の合否判定基準に関するものではない。

右に見たとおり、検定規則一一条一項は検定の合否判定基準と全く関係のない規定であるから、同条項が「改善」を「改訂」の要件として掲げていないことは、部分改訂検定の合否判定基準の解釈に何らの手掛かりをも与えるものではない。

そればかりではなく、「改訂」の意義を定めた検定規則一一条一項の規定中に、「変更」の外に「改善」をもその要件の一つとして掲げるときはかえつて、次に述べるような不合理な結果を招来する。すなわち、「改善」は図書に変更を加えた結果に対する価値判断であるから、検定規則にいう「改訂」の定義づけに当たり「改善」をその要件とするときは、既に検定を経た図書に変更を加えた場合において、その結果内容等の改善を来すときだけが検定規則にいう「改訂」に該当し、反対に内容等の改悪を来すときは「改訂」に該当しないことになる。そうすると、改善を施した教科書は、改めて部分改訂検定又は新規検定を受ける必要があるのに対し、改悪を施した教科書は、検定規則九条にいう「改訂を加えた図書」に当たらないから、従前の検定の効力が改悪後の教科書にも及び、改めて改訂検定又は新規検定を受ける必要がないという極めて奇妙な結論とならざるを得ないのである。したがつて、部分改訂検定の合否判定基準が改訂による教科書内容等の質的向上の有無にあるとする上告人主張の見解に立つても、検定規則一一条一項の規定中に「改善」なる文言が用いられていないのは、むしろ当然の事理といい得るのであつて、何ら上告人の右見解と矛盾牴触するものではない。

以上のとおりであるから、原判決が、部分改訂検定の合否判定基準の解釈に当たり、規定の目的を異にする検定規則一一条一項を引用し、同条項が「改訂」の定義として「変更」の外に「改善」が加えられることを定めていないことを根拠として上告人の前記主張を排斥したのは、明らかに失当といわなければならない。

2 また、原判決は、検定規則一条を引用して、部分改訂検定の場合も全面改訂検定の場合と同じく、専ら改訂の結果が検定基準等に照らし教科用図書として適当であるか否かを判定するにあり、改訂の前後に「改善」の跡があるか否かの審査が行われるべきことについては、格別法令上の根拠がない旨判示するが、同条は、教科用図書検定制度の目的を定めた規定であつて、同時に一般的抽象的な検定の根本基準として「教育基本法及び学校教育法の趣旨に合し、教科用に適すること」という要件を掲げたものと解釈することができるとしても、同条の規定する範囲はそれだけにとどまり、新規検定及び部分改訂検定についての具体的な合否判定基準を定めたものではない。部分改訂検定の場合に即してこれを言えば、改訂箇所の記述がそれぞれどの程度の水準に達すれば、前記個別的具体的な検定基準を満たし、「教科用に適すること」となるかという合否判定基準(上告人は、従来部分改訂検定の合否判定基準については、改訂箇所がそれぞれ検定基準等に照らし改訂前のものより良くなるか、少なくともそれと同程度のものであることを要し、これを満たす場合に初めて前記検定基準に合格すると主張している。)については、同条は何ら定めていないのであつて、検定規則は、合否判定基準を下位の行政規則ないし準則の定めるところに譲つているものと解されるのである。

右に述べたとおり、検定規則は、その一条一項において、教科用図書の検定の目的を明らかにしており、それは同時に検定の根本基準を定めたものと解されるのであるが、この検定の根本基準を実施するための具体的な審査の基準及び合否判定基準については、検定規則中で明示せず、これを告示、内規等の下位の行政規則ないし準則の定めとるところに譲つている。これを受けて、教科用図書検定基準(昭和三三年文部省告示第八六号)(昭和四三年八月二六日文部省告示二八九号による改正前のもの)、教科用図書検定基準内規(昭和三三年文初教第五八六号)及び「小学校用、中学校用および高等学校用教科用図書の検定申請原稿の調査評定および合否判定に関する内規」(昭和四一年一二月五日教科用図書検定調査審議会決定)(乙第九号証。以下「審議会内規」という。)が審査及び合否判定の具体的基準を定めているのであるが、部分改訂検定の原稿審査段階における調査評定及び合否判定に関しては、前掲審議会内規第4に、「改訂申請原稿については、上記の規定(上告代理人注、新規検定申請原稿の調査評定及び合否の判定に関する基準を定めた規定)を準用するものとする。ただし、調査員の調査評定および必要条件の合否の判定については、特に必要があると認められないものの場合には、これによらないことができる。」と定められている。そして、原判決も認定しているとおり、部分改訂検定の原稿審査段階における現実の運用状況としては、審議会内規第4ただし書がむしろ原則となつており、新規検定の場合のような評点方法による合否審査は行われていない(原判決二三丁裏一三行目から二四丁表一行目まで参照)のであつて、審議会内規第4ただし書により合否の判定を行う場合の判定基準については明文の規定がないが、改訂に係る箇所が教科用図書検定基準に照らし改訂前のものより改善されているか、少なくともそれと同程度のものであることが運用上の合否判定基準として定着し、右の基準に従つて検定実務が行われているのである。

確かに、右の運用上の合否判定基準は、明文の規定に基づくものではないが、運用上の合否判定基準を設け、右基準に従つて検定実務を行うことは、審議会内規第4ただし書がこれを許容しているところであるから、右の基準の内容が検定規則一条の定める検定の根本基準及び教科用図書検定基準の定める審査基準に抵触せず、かつ、部分改訂検定制度を設けた趣旨・目的に照らして合理性があると認められる場合には、明文の根拠がないとの一事をもつてその法的効力を否定すべきいわれはなく、むしろ、右の運用上の合否判定基準は、検定関係法令の明文のけん欠を補う解釈により導かれた合理的な基準として、検定関係法令の一部をなすものと解すべきである。

しかるに、原判決は、以上の点について思いを致さず、したがつて、上告人主張のような内容の運用上の合否判定基準が存在している事実の有無すら確定することなく、「改訂の前後に「改善」の跡があるか否かの審査が行わるべきことについては、格別法令上の根拠がないといわねばならない。……部分改訂検定における改訂とは、「改善」のための修正であるとする控訴人の主張は、……それは控訴人自身の定めた検定基準に関する諸規則、告示等には存在しない観念であるというのほかはない。」(三一丁表、裏)と即断しているのであつて、その判断過程には論理の飛躍があるものといわざるを得ない。

3 また原判決は、検定規則一一条二項にいう「改訂がページ数の四分の一以上にわたるもの」について行われる検定を「全面改訂検定」と表記し、これと部分改訂検定とを比較した上、部分改訂検定が「全面改訂検定」とその目的及び趣旨を異にする法令上の根拠は見いだすことができないから、部分改訂検定の審査も「全面改訂検定」の審査の場合と同一の基準により行われるべきであるとの趣旨を判示しているが、右判示は、次の理由により失当である。すなわち、

(一) 検定規則は、教科用図書の検定方法として、検定を経ていない教科用図書について新規に検定をするいわゆる新規検定制度(五条、六条)の外に、既に検定を経た教科用図書の内容を簡易に改訂する制度としていわゆる部分改訂検定制度(一〇条)を設けているが、検定規則一一条二項の定めるところによれば、教科用図書の記述内容の改訂は改訂ページ数が全体の四分の一に満たない場合に限つて許されるのであつて、改訂ページ数が全体の四分の一以上にわたるものについては改訂の方法によることは認めていない。したがつて、改訂ページ数が全体の四分の一以上にわたるときは、改めて新規検定申請をして全面的に審査のやり直しを受けるほかはなく、その場合は、検定規則上からも明らかなように、いわゆる「改訂」の要素は無視され、申請手続、審査方法、合否判定基準の適用、合否の通知などすべての段階で新規検定として取り扱われることになるのであつて、右のような大幅改訂が実務上全面改訂検定と呼ばれることがあるとしても、その法律上の性格は改訂検定の一種ではない。

原判決は、実定法上の右のような仕組みを看過して、新規検定と部分改訂検定の外に「全面改訂検定」という新しい第三の範ちゆうを観念上設定し、「全面改訂検定」をもつて部分改訂検定と同じく改訂検定の一種であるとの位置付けをしたものであつて、これは検定規則一一条二項、五条、六条の解釈を誤るものである。そして、原判決は、「全面改訂検定」と部分改訂検定との間には「改訂」という点で共通の要素があるとして、右「全面改訂検定」から部分改訂検定の趣旨及び審査基準の類推解釈に及んでいるけども、これは実定法に根拠を置かない独自の概念である「全面改訂検定」を比較対象に置く誤りを犯したものであつて、結局部分改訂検定の趣旨及び目的の解釈を誤つたものである。

(二) なお、原判決には、後述のように検定制度の運用の状況を調べなかつた審理不尽の違法があり、もし右の点について十分な審理を遂げたならば、前記のような誤りは犯さなかつたと考えられる。すなわち、いわゆる「全面改訂検定」の運用の状況を見れば、「全面改訂検定」が改訂検定の一種ではなく新規検定そのものとして取り扱われていることが明らかになるからである。そこで、改訂部分が検定済み教科用図書のページ数の四分の一以上にわたる場合について、以上これを便宜上「全面改訂検定」と呼称し、その運用の状況について付言する。

まず、全面改訂検定の申請方法は、全く新規の編修による教科用図書(以下「新編修図書」という。)の検定申請の場合と同一様式の申請書(検定規則別記様式参照)を作成し、それに新編修図書の場合と同じく発行者や著者が何びとであるか全く分からないようにしたいわゆる白表紙の申請原稿を添付して行うこととされ(検定規則五条参照)、その他校正刷審査、見本本審査の各段階を通じ、新編修図書の検定と全面改訂検定との間にその申請方法において何らの区別も設けられていない(検定規則六条)。

申請を受理した文部省側の取扱いも同様であつて、例えば、申請を受理したときは識別のため申請原稿に当該申請年度の受付順に番号を付することとなつているが、その番号の付け方を見ても、新編修図書の検定と全面改訂検定との間には新編修図書の検定と部分改訂検定との間に見られるような区別はなされていない。また、原稿審査についても同様であつて、新編修図書の検定及び全面改訂検定のいずれの場合にあつても、検定基準に照らして不適切な箇所を拾い出し、一定の技術的方法で点数に換算し、総点一〇五〇点から減点を行つて、教科書全体の良否を判断し、その点数が八〇〇点以上の場合にそれを合格として次の段階の審査に進む仕組みとなつており(部分改訂検定の場合にこのような審査方法をとらないことは後述のとおりである。)、また、その審査に当たる者としては、文部省に教科書調査官が置かれ、教科用図書検定調査審議会に委員の外全国数百人に及ぶ小学校、中学校、高等学校の実際の教育に当たる教員や大学の教授などの専門家から成る調査員が置かれているが、これらの者には、その図書が新編修に係るものか全面改訂に係るものかの区別は分からず、またこれらの者がそれを意識して調査することもない。更に検定の結果の通知の方法も、部分改訂検定の新規検定とではその様式を異にしているが、新編修図書の検定と全面改訂検定については、全く区別がなく、専ら新規検定として通知が行われている。

以上のとおり、全面改訂検定は、申請方式、審査方法、判定通知などすべての段階で新規検定として取り扱われており、部分改訂検定とは明確に区別されている。原判決は全面改訂という言葉から、あたかもそれが新規検定よりは改訂検定の考えに近いもののごとく誤解したのであろうが、全面改訂は、検定手続上あくまでも新規検定そのものであり、これを改訂の一種であるとして、部分改訂検定の審査ないし判定方法にも通ずるもののごとく扱うのは、その実際を理解しないものといわなければならない。

4 更に、原判決は、新規検定制度を論ずるに当つては、運用の状況等法解釈の手掛かりとなる事実を検討しん酌して規定のけん欠を補うという解釈手法を採用しているにもかかわらず、部分改訂検定制度を論ずるに当つては、一部については同様の解釈手法を使用して妥当な結論に到達していながら(後記(二)参照)、部分改訂検定制度の目的及び趣旨並びにその合否判定基準の判断に際しては、単に明文の規定の存否のみにこだわり、右の解釈手法を採用していないことは、解釈手法に前後の一貫性を欠くものといわなければならない。そして、その結果として、原判決は部分改訂検定の制度及び運用の状況については、そのかなりの部分について新規検定の場合と異なるものがあることを認めていながら、部分改訂検定の目的及び趣旨並びにその合否判定基準に限つては、新規検定の場合のそれらと異なるところがないとの誤つた判断に到達しているのであつて、その判断過程に混乱が見られ、統一を欠くものといわなければならない。以下右の各点について詳述する。

(一) 原判決における部分改訂検定の合否判定の基準に関する解釈は、新規検定及び部分改訂検定の外に第三の範ちゆうとして全面改訂検定なるものを想定したためということもあろうが、次に指摘するように、かなりの混乱が見られ、それは恣意的とさえ見られるものである。一般に法令の解釈にあたつては、文理解釈にしても論理解釈にしても、解釈そのものが経験則上是認し得るものでなければならないと同時に、解釈に当たつて示される方法や姿勢も経験則上是認し得るものであることを要することはいうまでもない。部分改訂検定の合否判定に関して明文化されているものとしては、前記審議会内規があるが、部分改訂検定の合否判定の基準を明らかにする上では十分なものではない。このため、明文化されたものを一応の手掛かりとして部分改訂検定の合否判定の基準を明らかにするには、経験則上許される範囲内で、拡張解釈を行い、必要があるときは証人等の証言をもつて補うなどしてその実態を明らかにするほかはない。現に、部分改訂検定の趣旨及び目的並びにその合否判断基準の解釈を除き、その他の点について原判決の採つた解釈方法は、かなりな程度まで弾力的なのである。

(二) 例えばまず原判決は、「改訂検定においては、調査員による調査は必要なしとして省略されている。また、検定結果の通知は一通の通知書でなされるが、審査は個々の改訂箇所ごとに行なわれ、含否の決定も個々の改訂箇所ごとになされる。」(原判決の引用する第一審判決第二の三5)ことを認める。なお、調査員による調査との関連において、原判決は部分改訂検定につき「右(1)の例のような評点方法(上告人注、総合計点を一〇五〇点として一定の減点方式による減点の結果、八〇〇点以上を合格点とする方法)による合否審査を行わないこともでき、また現実にも行われていない。」(二三丁裏)ことも認めている。ところで、右の事実を認めるに当たつて明文化された基準としては、審議会内規第4が存在するが、その内容は第二点一・2において述べたとおり、「改訂申請原稿については、上記の規定を準用するものとする。ただし、調査員の調査評定および必要条件の合否の判定については、特に必要があると認められないものの場合には、これによらないことができる。」とあるのみである。ここで前記原判決の認定のうち「改訂検定においては、調査員による調査は必要としないとして省略されている。」という部分と「右(1)の例のような評点方法による合否審査を行わないこともでき」るという部分は、右の審議会内規の文理解釈によつてほぼ認定し得る事項であるが、その余の認定部分はいずれも明文化された基準から直たに到達し得る結論ではなく、前記審議会内規の外に乙第五号証の検定申請通知及び第一審における証人吉久勝美の証言を資料として初めて認定し得たものである。

また原判決は、他の箇所においても、部分改訂検定制度の構造につき「各改訂分ごとに一個の検定申請となり、それぞれ別個独立に検定手続が行われる仕組みとなつており、改訂の新旧部分の対照に便宜であり、」(三〇丁表以下)とか、「この場合の検定は、各改訂申請部分ごとに行われ、それらがそれぞれ別個独立のものであり、合否の処分も別個の行政処分であることは前出(四)(上告代理人注、原判決中「部分改訂検定の趣旨およびその制約」という表題の付されている箇所)に説示したとおりであり、」(三三丁表以下)と認定しているが、これらはいずれも明文化された規定がない場合における経験則内での論理的思考に基づく認定ということができる。

次いで原判決は、「必要条件の各項目に照らし欠陥とは認められるが、それを修正しなくとも合格と認められる程度のもの、または必要条件に照らし欠陥とは認められないが、修正した方が教科書としてより適当であるものについては、参考意見としてB意見が付される。」(原判決二二丁裏で引用する第一審判決第二の三2(三))及び同趣旨のものとして「B意見は、同意見にしたがつて訂正、削除または追加などの修正措置がされなくても、そのこと自体では検定が不合格とはならないものであること、そしてB意見が付される事項または記述内容(以下、便宜これを事項等という)は、検定基準等に照らして欠陥と認めるほどでないものもあるが、また欠陥と認められるもの(以下、便宜これを欠陥B意見という)もあること」(原判決三一丁裏以下)を新規、全面改訂部分改訂のいずれの場合を問わず認定する。更に、部分改訂検定について、原判決は「その改訂部分が小範囲であつて、本件各改訂検定申請のように、その改訂部分が短い見出しまたは数行以内の記述部分である場合には、それらにもしB意見が付されるとすればその各個別性がますます明瞭となり、さらにもしそのB意見が欠陥B意見であれば、その付された記述部分の欠点が個別化され浮き彫りにされる。」(二三丁裏)ことも明らかに認定している。以上の事実は、いずれも前記吉久証言等によつて明らかとなつた現行検定制度の合理的な運用を踏まえて初めて解釈され得るものである。

(三) 右に見たとおり、原判決は、検定制度中明文の規定を欠く点については、現行制度の運用の状況をしん酌し、合理的なわく内で規定のけん欠を補充して弾力的な解釈をしているのであつて、しかも、部分改訂検定の運用が新規検定のそれとはかなりの程度異なるものがあることも認定しているのである。そして、部分改訂検定制度についてその立法の沿革、立法目的、現在における制度運用の状況等を検討するならば、後述のとおり、部分改訂検定制度は新規検定制度と異なる目的を有し、それとは異なる運用が行われ、合否判定基準も両者の間に差異の存することが明らかとなるはずであるが、右のように原判決も、部分改訂制度の運用の状況が新規検定制度のそれとはかなりの程度異なるものであることは認めており、原判決の確定した事実関係だけから見ても、部分改訂検定制度の目的及び趣旨等が新規検定制度のそれとは異り得るものであることは容易に推認することができるはずである。

ところが、原判決は元来が部分改訂検定における合否判定の基準ではなく、改訂の意義を定めたものにすぎない検定規則一一条に、「変更」という文言は含まれているが「改善」という文言は加えられていないことを根拠として、部分改訂検定におけるB意見の位置付けを不当に軽視してしまつた。これは、検定規則一一条が仮に合否判定の基準を探るについても一つの手掛かりとなる明文規定であると解したとしても、同規定について極めて厳格な文理解釈(その中でも反対解釈)を施したためであるが、これは前記(二)で示された原判決における極めて正しい方向を示している論理解釈的姿勢と大きく矛盾するものであつて、それは混乱であるばかりでなく、極めて恣意的なものであるといわざるを得ない。原判決は、新規検定の合否検定基準等については、右に見たように、文理解釈に即しつつも、明文規定が十分でないがゆえに、経験則上是認し得る範囲内での論理解釈を施しているのに対して、部分改訂検定の目的及び趣旨その合否判定基準については、一定の結論を急ぐ余り、何らの根拠もなく極めて厳格な文理解釈を行つたといい得るのであるが、明文規定に対するこのような解釈態度は、特定の結論を導くための極めて恣意的な態度というほかなく、このため部分改訂検定における合否判定の基準の解釈を誤るに至つたと考えられるのである。

二1 検定規則は、部分改訂検定制度の目的及び趣旨について明文の規定を置かず、また、審議会内規は、第4ただし書により調査判定を行う場合における合否判定基準について明文の規定を欠いている。検定規則は、新規検定制度の外に部分改訂検定制度を設けているのであるから、立法者の意図としては、新規検定の場合とは異なる立法目的と必要があつてこれを設けたものであることは、容易に推認し得るところである。したがつて、部分改訂検定制度の目的及び趣旨はもちろんのこと、その合否判定基準も新規検定のそれとは内容的に異なることも十分考えられるところであるから、部分改訂検定制度の目的及び趣旨並びに審議会内規第4ただし書により調査判定を行う場合の合否判定基準等明文の定めのない事項については、まず可能な限り解釈によつて確定するよう努力すべきであることはいうまでもない。

一般に、規定に不備がある場合にこれを補う法解釈の手段としては、例えば関連する他の制度や規定から論理的に演えきする論理解釈、法全体の理念や規定の目的等を検討して目的的に問題とされる規定の規範的意味を確定する目的論的解釈等の手法があるが、後者の手法による場合には、規定のけん欠を補充するために解釈の手掛かりとなる事実の検討が必要となるのであつて、右検討を要する事実としては、例えば制度が設けられるに至つた沿革(成立過程、立法過程)、立法者の立法目的、立法後の取扱いの実情、特に行政担当者及び制度の利用者が右制度の目的及び内容についてどのように認識し、どのように運用し又は利用していたか、そこで考えられている制度の目的及び内容に合理性があるか等の事実があるとされている。そしてその場合、証拠調べによつて確定されたこれらの事実及び法令全体の理念を手掛かりにして解釈によつて規定のけん欠を補充し、その規範的意味を確定することが可能となるのである。

したがつて、原審は、よろしく部分改訂検定制度が設けられるに至つた沿革(成立過程、立法過程)、立法者の立法目的、その運用の実情等解釈の手掛かりとなる事実関係について、証拠調べ等の方法により事実を確定し、それを手掛かりにして部分改訂検定制度それ自体の目的、趣旨及びその合否判定基準等明文の定めのない事項について目的論的に解釈を進めるべきであつたのである(現に後述のとおり、右の解釈手法を採用するならば、部分改訂検定それ自体の目的、趣旨及びその合否判定基準を解釈によつて確定することは可能であつたのである。)。

ところが、原判決は、部分改訂検定については右のような解釈手法を採らず、単に明文の規定がないことだけを理由として、上告人の「改訂検定の趣旨は、教科書の内容の改善向上を期するにあるので、改善箇所がそれぞれ検定基準等に照らし改訂前のものより良くなるか、少なくともそれと同程度のものであることを要し、それよりも悪くなると認められる場合にはその改訂を合格とすることはできない」との主張を排斥したのであつて、これは、審理不尽のそしりを免れないものである。

2 ここで、原審における審理の経過を口頭弁論期日における裁判所並びに上告人及び被上告人の訴訟活動との関連において重点的に振り返り検討し、いかにして原審が、部分改訂検定に関する条項の手掛かりとなる立法事実等についての審理を尽くさず、抜打ち的に判決を下したかについて言及したい。

(一) 原審では、証拠調べの進行中、昭和四八年秋に至り裁判長の交代が行われ、同年一二月一四日の第二二回口頭弁論期日から昭和四九年三月一一日の第二四回口頭弁論期日までの間に弁論の更新が行われた。その後裁判所は、当事者双方に昭和四九年四月六日付の「事前釈明準備依頼書」を提示し求釈明をした。その骨子は、双方の主張の中で争いのない事実と争いのある事実とを分けて、証拠調べの範囲を明確にさせるというものであり、弁論のための準備手続的な性格のものであつた。このため上告人は、同年五月一八日付同年七月一日付の各釈明書において、同年五月二七日(第二五回口頭弁論期日)、同年七月八日(第二六回口頭弁論期日)に釈明を行つた。

(二) ところが、裁判所は、昭和四九年八月五日付の「求意見についての依頼書」(以下「求意見書」という。)を期日外において当事者双方に手交し、次回期日(第二七回、同年九月二〇日施行)までに意見を述べるように促した。右求意見書は当事者双方の主張を整理するという形の実質的な求釈明書であつたが、その中味は、これまで、第一審以来、当事者双方が何ら争点としていなかつた部分を多く包摂しているものであつた。その詳細は省略するが、原判決において被上告人の請求を認容する決定的要素となつた行政の一貫性、安定性を欠くとの視点は、この時点で裁判所側からの求意見書において初めて示された争点であつた。このことは、上告人ばかりでなく被上告人でさえも、「被控訴人は、少なくとも現時点に至るまでは、このような主張は全然していないから、このような争点は存在しておらず、これを中間判決事項にするということもありえない。被控訴人が従来同一ないし同趣旨の記述が異なる処分を受けたという外形的事実を指摘して来た趣旨は、検定制度の具体的運用における恣意性、不公正、教科書内容への権力的介入の危険性等々の例証を示し、検定制度とその運用の違憲性、違法性の表われとして主張してきたものであり、右の外形的事実のみをとり出して、本件訴訟の終局的判断に結びつけるごとき観点では全く主張していないのである。」(昭和五〇年一二月八日弁論再開申立書補充書五ページ)と主張している事実からみても明らかである。この行政の一貫性を欠くかどうかとの視点からの原判決の誤りについては後に言及するのでしばらくおき、ここでは部分改訂検定の意義、内容に限局して検討する。右求意見書の中では五訂版第二次でB意見を付された箇所が、本件部分改訂検定においては何ゆえ不合格とされたかが、行政の一貫性、安定性を欠くことになるか、ならないかとの視点から求釈明があつた。この求釈明は、いわば、部分改訂検定制度の本旨、内容及びその運用の実態のすべてにわたつて、本格的な主張及び立証を促す措置であつた。このため、上告人は昭和四九年九月一〇日釈明書において、(部分改訂検定制度の趣旨について、その骨格を主張する(もちろん第一審以来、この点についての主張、立証を行つてはきたが)とともに、裁判所の求釈明態度の重大性にかんがみ同釈明書中において、本件不合格処分が部分改訂検定制度の趣旨に合致することを立証するための証人の取調べを求める用意がある旨を明らかにし、(同釈明書二四ページ)、立証の準備を進めたのである。第二七回(昭和四九年九月二〇日)、第二八回(同年一〇月一四日)、第二九回(同年一一月二二日)の各弁論期日は、裁判所の右求意見書の中で裁判所が設定した新しい争点に対する当事者双方の釈明が行われたのであるが、裁判所は、同年一一月二二日の口頭弁論期日において、右の部分改訂検定制度に関する上告人の立証の機会を全く与えないまま(行政の一貫性の争点に関して上告人が取調べを求めた書証も、裁判所は証拠調べをしていない。)、当事者の申立てによらず、職権で中間判決のために弁論を終結した。

(三) ここで特に言及すべき点は、右求意見書を当事者双方に手交するに当たつて裁判所が示した姿勢は、終始争点を整理し、場合によつては中間的な判断をするというものであつたことである。もちろん求意見書が言及しているように終結判決ということも全く皆無ではないにせよ、主として以上の口頭弁論期日において、裁判所、当事者双方が、求釈明、応釈明の訴訟活動をしてきた内容は、争点整理及び中間判決のためのものであつた(弁論を終結した期日の第二九回口頭弁論調書においても、このことは十分にうかがわれる。)。もちろん、裁判所は訴訟が終局判決に熟していると認めるときは、当事者双方の主張立証を打ち切り、終局判決をすることが可能であるが、そのためには真に訴訟が客観的に成熟していなければならない。これを原判決に即して述べるならば、部分改訂検定制度の本旨、内容、運用等については少なくとも上告人に十分主張、立証を尽くさせるべきであつた。このことは、現に、原判決が部分改訂検定の趣旨を根本的に誤解したことから見ても明らかであるといわなければならない。

通常の場合、訴訟当事者は終局判決がなされるということであれば、それぞれの立場において、自己の主張・立証が十分尽くされているかどうかを虚心に検討するものである。もちろん、当事者は裁判所から弁論を終結し終局判決を行うゆえに、十分な主張・立証をせよと促されなくても、ある時期以降は、いつなんどき弁論が終結してもよいとの準備が必要であるかも知れない。しかしながら、結局原判決で勝敗の分かれ目となつた箇所は、裁判所が職権で設定した争点であるだけに、以上のような裁判所の訴訟運営は極めて遺憾なものであり、その結果原審が部分改訂検定制度の趣旨を誤解したことを合わせ考えると、審理不尽といわざるを得ないのである。

三 部分改訂検定の原稿審査において審議会内規第4ただし書により調査判定を行う場合の合否判定基準は、「改訂に係る箇所が教科用図書検定基準に照らし改訂前のものより改善されているか、少なくともそれと同程度のものであるとき」であると解すべきである。以下、その理由を詳述する。

1 いつたん検定に合格した教科書であつても、その記述内容が検定後の年月の経過に伴う新しい事実の発生、制度の変革、その他の客観的事情の変更等により実情に沿わなくなつて、その教科書を使用する上において支障を生ずることがあるので、このような事態に対応して、教科書の記述内容等を部分的に改訂する実際上の必要がある。検定規則は、教科用図書の原則的な検定方法として新規検定制度を設けているが、この制度だけでは、右のような教科書の改訂の必要に適切に対処することができない。すなわち、検定の効力の及ぶ物的範囲は、検定審査の対象となつた教科用図書そのものに限られ、その内容に変更を加えた図書に対しては、検定の効力は及ばない(検定規則九条)のであるから、検定済み教科用図書の内容を部分的に改訂した図書は、改めて全体につき検定を経なければ教科書として使用することができない筋合いであるが、検定を経た教科用図書の内容を部分的に改訂した場合において、学習指導要領等の審査基準が前の検定の際と同一である場合には、改訂を加えていない部分については前の検定の際に審査基準に適合するものとの判定がなされているから、改訂の範囲が比較的小部分にとどまるものについてまで改めて内容全体にわたつて審査をやり直すことは、その実益に乏しいのみならず、関係者に無益な時間と労力の費消を強いる結果となる。

そこで、右のような不都合を避けるため、検定規則は、改訂ページ数が全体の四分の一に満たない部分的改訂の場合に限つて、例外的に新規検定の例によらない部分改訂検定という簡易な検定手続を特に定め(検定規則一〇条から一二条まで)、改訂部分だけに限つて局部的審査を行うこととしたのである。したがつて、部分改訂検定の審査は、改訂した個々の箇所ごとに行われ、互いに他に影響を及ぼさず、また、改訂されなかつた部分を含む教科書全体についてまで検定審査が及ぼされるということはない(改訂部分の審査の必要上右部分と関連性のある記述部分とを対照することはあるが、改訂されなかつた部分を見るのはせいぜいその程度にとどまり、教科書全体を見直すということはない。)。

原判決も「この検定(上告代理人注、部分改訂検定を指す。)は、……各検定部分ごとに一個の検定申請となり、それぞれ別個独立に検定手続が行われる仕組みとなつており……」(三〇丁表)と判示し、また「そのような審査、評価は、部分改訂の場合にはなるほど前示のとおり、その改訂部分ごとに行われ、しかも評点も付されず、もとより図書全体の評点合計との総合判断も行われないし……さらに他の事項等および検定基準項目の評点に補われることもない」(三五丁表)として、部分改訂検定の審査の仕組みが新規検定のそれと明らかに異なることを認めている(右以外の仕組みの違いについては、別表参照)。

右のとおり、部分改訂検定制度が改訂部分だけに限つて局部的審査を行うことを目的とする簡易な検定制度であることは、改訂検定制度を認めた趣旨から見て明らかなことであるが、特に検定規則一一条二項は、このことを前提として、改訂がページ数の四分の一以上にわたるような大幅な改訂については、右のような簡易な部分改訂検定手続によらしめる実益がないことから改訂検定の方法によることを認めず、同規則五条及び六条による新規検定手続によることを要求しているのであつて、右条項は、部分改訂検定制度の趣旨を右のように解するについての有力な根拠となるのである。また、検定規則一〇条は、部分改訂検定の申請手続について新規検定のそれとは異なる申請手続を定めており、検定審査料の額についても、部分改訂検定制度が前述のように局部的審査を行う簡易な検定制度であることにかんがみ、部分改訂の場合には新規検定の検定審査料の半額に相当する金額をもつて足りることとしている。

このように、検定規則中部分改訂検定に関する規定の多くは、部分改訂検定制度の趣旨を前述のように理解しなければ矛盾なく理解することが不可能であつて、このことは、部分改訂検定の審査の対象が改訂箇所だけに限られることを示すものにほかならない。

仮に、原判決の理解するように、部分改訂検定の場合も、新規検定の場合と同じく、その合否の判断に際しては、「総体として部分改訂の結果、図書全体が教科用図書としての適格性を失うことがないのか否かの判断がなされる」(三六丁表)ことを要するとするならば、規模の小さい部分改訂検定の場合であつても常に図書全体を審査の対象に含めることとなり、それでは新規検定の場合と審査の対象及び方法が異ならないこととなつて、検定規則が教科用図書の記述の改訂申請の簡易迅速な処理を図るため、新規検定制度の外に部分改訂検定という制度を特に設けている趣旨を全く没却することになることは明らかである。

2 前述したように、部分改訂検定制度は、改訂部分だけに限つて局部的審査を行う簡易な検定制度として設けられたもので、新規検定制度とその目的及び趣旨を異にし、その審査方法にも差異があるのであるから、合否判定基準についても部分改訂検定制度の趣旨及び目的を異にする新規検定の審査基準(検定基準、審議会内規)から類推することは許されないといわなければならない。

原判決は、前述したように部分改訂検定制度の趣旨の理解を誤つたため、その合否判定基準についても新規検定の場合と同じく「図書全体が教科用図書として、適格性を失うことがないか否か」という基準を解釈によつて定立するに至つたものであるが、原判決の右解釈が誤りであることは、部分改訂検定においては、審査の対象が改訂部分のみに限られ図書全体に及ばないこと、したがつて、新規検定におけるがごとき評点方法を採用するのに適しないことから見ても明らかである。すなわち、新規検定の場合の審査方法は、何よりもまず、その図書全体を総合判断した上での図書自体の合否の判断が中心となる。したがつて、この場合は一〇五〇点満点での八〇〇点以上合格という点数換算による方法が合理的かつ実際的である。これに反し、部分改訂検定では、既に合格済みの図書の部分改訂部分の適否のみを審査するものにすぎないから、その図書全体の合否を審査することなく、教科書の特定箇所の記述等の改訂を可とするべきか否かを判断するにすぎない。そして、この場合は、既に検定に合格している改訂前の記述と改訂後の記述とを比較して、改訂前の記述よりも悪くなりさえしなければ、当該教科用図書全体の水準は維持されるのであるから、部分改訂検定の合否判定基準として「改訂箇所がとれぞれ検定基準等に照らし改訂前のものよりも良くなるか、少くともそれと同程度のものであることを要する」との基準を設け、教科用図書全体の審査を省略することが、前述の部分改訂検定制度の趣旨に合致し、合理的かつ実際的である。もちろん、この場合も改訂に係る箇所に限つて一定の点数換算による判定方法を用いることは全く不可能ではないとしても、少なくとも図書全体の合否を総合的に判定する新規検定の判定方法を改訂検定に適用すべきであるとする考え方は全く意味がなく、かつ、その実際を考えてみても適用の仕様がないのである。

3 一般に制度そのものについて規定はあるが、その制度を運用する上において必要とされる事項について一部明文の規定を欠く場合には、制度の趣旨等を手掛かりとして解釈によつてこれを補うことが許されるところであり、また解釈のわく内にとどまり、かつ、それが合理的である限りにおいて、行政機関が明文の規定を欠く事項についてその制度の趣旨に合致した内部基準を設定することも許されるとしなければならない。

文部大臣は、部分改訂検定の趣旨等にかんがみ、その審査基準の一として「改訂箇所がそれぞれ検定基準等に照らし改訂前のものより良くなるか、少くともそれと同程度のものであることを要する」との内容基準により永年にわたつて部分改訂検定の審査を行つてきたものであるが、以下に述べるように右内部基準は部分改訂検定の趣旨に合致しかつ合理的であることは明らかであるから、検定規則の解釈として許容されるものといわなければならない。すなわち、

(一) 改訂検定制度が設けられた趣旨は、第二点三・1において述べたとおりであるから、その制度の趣旨及び目的自体の中に「教科書の改善向上」という理念が内在していることは明らかである。したがつて、文部大臣が部分改訂検定の審査基準として「改訂前の記述と、改訂後の新記述とを比較し、新記述が旧記述よりよくなるか、少なくとも同程度のものでなければならない」という内部基準を設定しても、これは制度の趣旨に合致しかつ合理的なものであるとして、許容されるべきである。

(二) 更に、改訂検定制度の趣旨及び審査基準を考えるに当たつて特に重視すべきことは、右制度が国の教育制度の一環であり、教育的視点を離れては論ずることができないという点である。したがつて、改訂検定の審査基準がいかなるものであるかについては、教育基本法、学校教育法ひいては憲法二六条の解釈の下に定められなければならないことはいうまでもない。

一般的に見て、民主主義国家においては、その構成員たる国民が一定の文化的な水準を備えていることを理想とするという面から、また、福祉国家としてすべての国民に等しく教育の機会を与えることを理想とするという面から、国家は、国民の教育を受ける権利・義務を実現し得るよう積極的に必要な措置を講ずる責務があるというべきである。現憲法下の我が国においては、国政は主権者である国民の信託によるものであつて、公教育もまた国民の意思に基づき国民の付託を受けて行われるものであり、教育行政機関は法律に定めるところにより国民の教育意思を実現する権限と責務を有するものである。憲法二六条一項は、国が国民の教育を受ける権利を保障し、これを法律の定めるところにより、十全に実現すべきことを要請している。国は、この権利を積極的に保障する責務を負い、この責務を果すために、国民の合意により、教育基本法、学校教育法等を定め、これに基づき適切な教育内容を確保し、教育水準の維持向上を図るために、教育課程の基準を定め、教科書の検定を行つているのである。教科書検定制度は、国が憲法二六条一項に定める国民の教育を受ける権利の実現を期するために整備されるべき学校教育制度の一環として、学校教育法二一条、四〇条、五一条、七六条等に基づいて設けられた制度であり、教科書検定制度の目的とするところは、一定水準の教科書を選定して、その中から各学校において使用される教科書が採択決定され、これを用いた授業により、全国的に行われる普通教育において教育内容が児童生徒の心身の発達に応じて適切に行われるようにし、これによつて我が国の教育水準の維持向上を図ることにある。

このように、国は憲法二六条の要請に基づき、国民の教育水準を維持向上することに不断の努力を続ける必要があるのであつて、そのためには教科の主たる教材たる教科書の質的及び量的確保ということに意を用いざるを得ないのである。

ところで、新規検定において、学校教育の場において使用する教科の主たる教材としての教科書がまだ存在しない状態の中で、新しく教材を確保する必要があるとの要請が強く働くため、国民の教育水準を「向上」するとの視点を等閑視するわけではないが、教科用図書に適するとのわく内において教科書の量的確保という点にある程度まで主眼を置かざるを得ない。ところが、部分改訂検定においては、既に教科の主たる教材としての教科書に対する需要は一応満たされているのであるから、専ら国民の教育水準を「向上」するとの視点に力点を置き得るのであり、そのことよりすれば、検定規則が新規検定とは別に、全く手続的に異なる部分改訂検定制度を認めた実質的なねらいは、この制度によつて既存の検定済教科書の質的水準の向上、少なくとも「現状維持」を図ることにあるものと解すべきである。検定規則には、部分改訂検定の趣旨等について規定するところがないが、右に述べた部分改訂検定制度の実質的ねらいは、憲法二六条によつて国に課せられた教育上の責務、その責務を果たす一環としての教科書検定制度、その制度の運用・実現の方法としての新規検定及び部分改訂検定の性格並びに教科書が公教育の場で果たしている機能等を検討することによつて、当然に判明するのである。

(三) 「改訂」という字句の通常の意味は、「改め訂正すること」(広辞苑)であり、「誤つた記述を改訂する」というふうに使われ、そこに「改善」の目的が含まれるのが普通である。例えば、一般の図書について改訂版を出版する際には、初版以後の新たな成果等を取り入れたり、その後気が付いた誤りを訂正したりして、改訂するのであり、その改訂行為には何らかの「改善」の意図が含まれるのが通例である。まして教科用図書の場合には、教育の用に供されるという当該図書の性質上、その改訂に際しては、なお更「改善」の要素が重視されることは容易に推認されるところである(例えば、本件の部分改訂検定申請書に添付された改訂理由書(乙第一〇号証)において、申請者である訴外株式会社三省堂は、「現行版編集時以後の時代の推移に応ずる」とか、「現行版編集時以後の歴史学研究の成果を取り入れる」、「現行版を使用して気づいた取扱い上の便宜をはかる」などと記載して当該教科書をより良くするために改訂を行うとする意図を明確にしているし、他方文部省の検定担当官も同様であつて、本件改訂検定時に教科書課長であつた吉久勝美は、第一審において、「……そういうように部分的な修正をすれば教科書としてそういうような欠陥等がなくなつて改善されるというようなものについては、簡便な方法でそういうことが可能なみちを認めておくというようなことが必要なわけで、この必要にこたえるのが、改訂という趣旨じやないかと思つておるわけでございます……」と証言している。このように教科書の検定において従来から「改訂」の趣旨は「改善」にあることはいわば当然のこととして運用されてきたところである。)。

原判決も、「検定の作業にあたる控訴人側の担当官らによる善意に満ちた審査勧告の心情においても、教科書の著作、発行にあたる者の向上心にもとづく主観的意図においても、また社会的な用語例としても、控訴人の右見解が常識的には自然であるかのように理解されないでもない」(三一丁表、傍点上告代理人)と判示して、社会的な用語例としては、「改訂」が「改善」の趣旨を含むことすることが常識的に自然であることを認めている。

前に第二点一・1において述べたとおり、検定規則中で用いられる「改訂」という文句は、「改善」の要素を含まないのであるが、その理由は、既存の検定済み図書に改訂を加えたものは、その結果が「改善」となると否とにかかわらず改めて検定を経る実際上の必要性があるからであつて、検定規則一〇条の部分改訂検定の場合も、「改善」の有無は検定申請をするについての形式的要件ではない。しかし、部分改訂検定の合否判定基準を考えるに当つては、検定規則一一条一項のような法技術的観点からする「改訂」の定義を離れて、「改訂」という文句が通常持つところの常識的意味を尊重し、「改善」の要素の有無を重視して、これを合否の判定基準と解しても、何の妨げもないばずである。

4 部分改訂検定の合否判定基準を上告人主張のように解しても、検定規則一条の定める検定の根本基準に反するものではないことはもちろん、不合理な結果を生ずることもない。

すなわち、改訂がページ数の四分の一未満の場合において行われる部分改訂検定と、改訂がページ数の四分の一以上にわたる場合において行われるいわゆる全面改訂検定との間において審査方法及び合否判定基準が異なつていても、両者はいずれも「当該図書が教育基本法及び学校教育法の趣旨に合し、教科用に適するものであること」という検定の根本基準に従つているものであつて、ただ、右根本基準の個別的、具体的な実施細目が異なる結果、部分改訂検定にあつては、改訂箇所について改善の跡があるかどうかに重点が置かれ、全面改訂検定にあつては、新編修図書の検定の場合と同様に取扱内容、正確性、内容の選択等図書全体を対象とする調査項目についての評点の合計に重点が置かれるのにすぎない。

また、いわゆる全面改訂検定の法律的性格は、改訂検定ではなく、新規検定そのものであることは、第二点一・3において述べたとおりであるから、部分改訂検定と全面改訂検定との間に審査方法及び合否判定基準に関し前記のような差異があつてもこれを不合理とするのは当たらない。

なお、本件各改訂検定申請に係る被上告人の著作図書のように、かえつて新規検定の際に原稿審査段階でB意見を付されたため自発的に記述を修正して新規検定を経たものについて当該修正箇所を当初の原稿の記述に復元しようとする場合には、改めて新規検定申請の方法を選べば検定に合格し、改訂検定申請の方法を選べば不合格となるという差異が生ずるとしても、検定申請の際に右の二通りの方法を選択する余地がある以上、改訂検定申請のみちを選択行使したことによつて生ずる不利益は申請者側において負担すべきものとされても、やむを得ないものといわなければならない。

5 以上に反し、部分改訂検定の合否判定基準が新規検定ないし全面改訂検定の場合と同一であつて、「改善」の有無を考慮してはならないとする原判決の解釈が正しいものと仮定するときは、部分改訂検定制度を設けた趣旨が全く没却される等各種の不合理な結果を生ずることは、折に触れて指摘したところであるが、ここでは更に次に述べるような不都合を生ずることを付言したい。

(一) 教科用図書の水準低下のおそれ

部分改訂検定において、「改訂」とは「改善」を意味しないとの前提に立ち、欠陥B意見の付されるような部分改訂検定申請を合格させた場合には、結果として教科用図書の水準を低下させ、ひいては教科用図書としての適格性を欠くという事態を招来することもあり得ることは、上告人が従来主張してきたところである。

例えば、欠陥B意見の付されるような部分改訂検定が繰り返され、あるいは同様な部分改訂検定が数多くなされ、しかも同意見に従つて修正がなされないままで合格処分をすることが余儀なくされると、軽微な欠陥であつてもこれが集積した場合には大きなかしとなり得るのであつて、特に改訂前の教科書が最低の評点数で合格となつている場合には、いつの間にかその合格最低評点数である八〇〇点を下回る結果を招くおそれがある。そして、部分改訂検定においては、前述のように図書全体を審査の対象とすることはないから、図書全体を評価して右のような場合を不合格にするみちはないことになる。しかし、それでは最低評価点数を定めた意味が失われることになるのであつて、このことからも、改訂検定の場合には、B意見相当のものであつても、いやしくも欠陥がある限りこれを不合格とし、改訂部分がその前のものより少なくとも同程度のものでなければ合格となし得ないとすることに合理性があることは明らかである。

もつとも、原判決はこの点につき、部分改訂検定が「図書全体との関連において、これもまた評点に現わされて合計何点になるというような総合判断こそされなくても、総体として部分改訂の結果、図書全体が教科用図書としての適格性を失うことがないか否かの判断がなされるはずのものである。そして、右適格性に影響がないとの判断のもとに、要すればB意見が付されて合格処分となるのであるから、控訴人の主張する前記のおそれは一般論としても生ずることはない。このことは部分改訂検定が同時に複数または時を異にして繰り返し行われようとも、その各検定ごとに、他の部分改訂の結果が図書全体との総合評価のなかで審査、対照されるはずであるから、以上の結論に消長をきたす理はない。」(三五丁裏―三六丁表)と判示して、右のような不都合は生じないとするが、部分改訂検定においても図書全体の評価を行うべきものとすれば、検定規則が部分改訂検定と新規検定という二つの制度を設け、両者につき申請手続や検定審査料の金額において異なる取扱いをしている理由の説明に窮することとならざるを得ないから原判決の右判示は失当である。

(二) 部分改訂検定の実施が事実上不可能となること

原判決は、五訂版第二次検定においてB意見付き検定合格処分をしていながら、それと同趣旨の記述の本件各改訂検定申請原稿内容について不合格処分にすることは、前後の一貫性を欠き許されないとするが、部分改訂検定の申請について審査を行うに際し、過去にさかのぼつて既往の処分結果の調査をすることは、制度及び運用の状況に照らし、事実上不可能を強いるものである。

すなわち、部分改訂検定の審査は、前述のように個々の改訂箇所を対象として行われるのであるから、部分改訂検定を申請する際に、新記述と旧記述との比較対照を便宜ならしめるため、既に検定を経て合格となつた教科用図書に新たにそう入しようとする文章等を印刷した別紙を新旧の区別が明らかに対照できるようにしてちよう付したものを申請書に添付させることとしているが、旧記述について前回の検定の際どのような意見が付され、それがどのように修正されていつたか等についてまでさかのぼつて調査するのは、本件のような極めて異例の場合を除き、一般には事実上不可能に近い。

もちろん、検定済み教科書を基にして改訂検定の申請原稿を作成するのであるから、新規検定の場合の白表紙本の原稿と違つて、その図書の発行者、著者等は当然明らかになつており、理論的には、右のような調査も可能なように見える。しかし、実際には、毎年、およそ一五〇点から二〇〇点以上の図書について部分改訂検定の申請があり、そのそれぞれの申請図書のほぼ四分の一のページ数に該当する部分が改訂されるのであるから、これらの改訂箇所のすべてについて、前回の検定でいかなる検定意見が付され、それがいかに修正されたかを調査すること、殊に限られた人数の調査官が限られた時間内(部分改訂申請には簡易迅速に審査が行われるべき要請がある。)にそれを行うことは、事実上不可能である。

四 以上の次第で、原判決には、検定規則中部分改訂検定に関する条項の立法事実等について審理不尽があり、しかも、部分改訂検定の趣旨及び合否判定基準について、明らかに検定関係法令の解釈を誤つた違法があることが明白である。そして、原判決は、右のように教科用図書の記述の改善という要素が部分改訂検定の合否判定基準とはなり得ないものと誤つて判断した結果、本件各部分改訂検定不合格処分を、検定基準等の定めによらず、裁量の範囲を逸脱し、かつ、前後の一貫性を欠く気ままに出た行政行為であるとして取り消すに至つたものであるから前記の法令違背が判決の結論に影響を及ぼしていることは明らかであり、この点において原判決は破棄を免れない。

第三点 なお、本訴が昭和五一年三月三一日の経過により訴えの利益を喪失することは、以下に述べる理由により明らかである。

一 審査基準の変更と部分改訂検定制度

前述したように、部分改訂検定制度は、学習指導要領等の審査基準が前後を通じて同一である場合において無益な審査の重複を省く趣旨の下に設けられた簡易な検定手続であるから、ある図書が新規検定に合格した後に、学習指導要領が改正され審査基準の同一性の基盤が失われたときは、右のような部分改訂検定制度の趣旨に照らし、もはや当該図書についての部分改訂検定は許されなくなるものといわなければならない。

既に第二点について述べたとおり、部分改訂検定は改訂を加えようとした箇所の対象となり、それ以外の箇所は審査することができないのであるから、仮に右のような場合にも部分改訂検定が許されるということになれば、当該検定申請の出された部分のみが新学習指導要領による検定を受けることとなり、かくては、一冊の検定済みの教科書中のある部分は新学習指導要領に基づいて検定合格処分を経た部分であり、他の大部分は旧学習指導要領に基づいて検定合格処分を受けた部分であるというように、教科用図書としてふさわしくない不統一を呈することになる。また、検定済み教科用図書のどの険部分について部分改訂検定申請をし、どの部分について申請をしないかは、申請者の自由であるから、新学習指導要領によれば当然改訂を要すべき記述部分があつても、申請者によつて部分改訂検定申請の対象とされなかつたために、右記述部分がそのまま残存することも考えられる。このように、学習指導要領改正後に旧学習指導要領による検定済み教科用図書について部分改訂検定申請を許容するときは、種々の不合理な結果の生ずることが予想されるのであつて、検定規則が右のような場合まで部分改訂検定の方法による改訂を許す趣旨であるとは考えられないし、また、現に右のような場合に部分改訂検定申請がなされ、申請そのものの適否が問題となつた実例はないのである。

ところで、本件各部分改訂検定申請は、昭和四一年一一月二日に行われ、昭和四二年三月二九日、当時施行されていた学習指導要領(昭和三五年文部省告示第九四号。以下「三五年学習指導要領」という。)を適用して本件各不合格処分が行われたものであるが、その後右学習指導要領は昭和四五年文部省告示第二八一号によつて全面的に改正され、改正後の右学習指導要領(以下「四五年学習指導要領」という。)は、昭和四八年度から学年進行(昭和四八年度は第一学年のみ、昭和四九年度は第一、第二学年、昭和五〇年度は、第一、第二、第三学年が適用を受ける。)で実施され、昭和五〇年度に全日制の高校ですべての生徒が四五年学習指導要領の適用を受け、昭和五一年度に定時制の高校(四学年制)でもすべての生徒が四五年学習指導要領の適用を受けることとなつている。したがつて、三五年学習指導要領は、昭和五一年三月三一日の経過をもつて全面的に失効し、それに代つて四五年学習指導要領が完全に実施されるに至るから、同年四月一日以降は三五年学習指導要領に基づく検定済み教科用図書について部分改訂検定申請をすることは許されず(文部大臣は、三五年学習指導要領に基づく検定済み教科用図書について部分改訂検定をしても事実上無意味になるので、昭和四六年度以降現に右のような部分改訂検定申請の受理を停止している。)、また、昭和五一年三月三一日以前に受理した右のような部分改訂検定申請についても、三五年学習指導要領失効後は部分改訂検定処分をすることは許されないこととなる。

そうすると被上告人は、昭和四二年三月二九日付け本件各部分改訂検定申請不合格処分の取消しを求めているが、仮に右処分の取消しが認められたとしても、四五年学習指導要領が完全に実施される昭和五一年四月一日以降は部分改訂検定の方法によつて新たな検定処分をすることが不可能となるのであるから、結局前記不合格処分の取消しを求める訴えの利益は、右同日以降消滅するものといわなければならない。

二 また、旧学習指導要領に基づく教科用図書が学習指導要領改正後に使用されることは事実上もあり得ない。

学習指導要領は各学校の教育課程の編成及び実施の基準となるものであつて、学習指導要領が改正された場合には、学習指導要領又は学校教育法施行規則附則に定める施行及び適用規定に従い、各学校の教育課程は新しい学習指導要領に基づくこととなり、旧学習指導要領による授業は行い得なくなる。そして、学習指導要領と教科用図書とは密接不可分の関係にあるから、学習指導要領が全面改正されれば、その新しい内容に応じて教科書が書き改められるのは不可避となる。このことは、教育課程の編成及び実施の基準である学習指導要領に基づく授業が行われる場合に、これに即応しない教科書を使用するとした場合の支障を考えれば容易に理解し得ることである。すなわち、現場において教員は新学習指導要領に基づいて教育活動を実施することになるが、主たる教材として使用すべき教科書が旧学習指導要領に基づくものである場合には、教員は、教科書の内容を点検して新学習指導要領に適合するかどうかをチェックしこれにそぐわない点があれば、一つ一つ、これを加除修正して教育を実施することを余儀なくされ、現場における教員の負担が必要以上に加重される結果となる。

したがつて、新学習指導要領に基づく教科書が刊行されているのに、教育の実施に多大の手数と労力を要する旧学習指導要領に基づく教科書が採択されるというような事態は、まず考えられない。殊に同一著作者の編成に係る旧版の教科書と新版又は改訂版の教科書とが教科書市場に併存する場合を想定してみるならば、結論は言わずして明らかであつて、採択に当たり旧版の教科書も新学習指導要領に適合するものと誤信したというような特殊な事情がない限り、教育の実際に適しない旧版の教科書が採択されることは、現実問題としてあり得ないことである。

このようなことから、旧学習指導要領に基づく教科書は、現実に採択される可能性がないため、従前与えられた検定合格処分の効力は、事実上その意味を有しないこととなり、全く形がい化するに至るのである。

そして、被上告人も既に三五年学習指導要領に基づく本件教科書(五訂版第二次検定本)を絶版とし、昭和四七年度申請をもつて四五年学習指導要領に基づく新規検定を受け、現在は右新教科書が発行されているのであつて、被上告人は今後本件教科書を出版に付さない意思を明らかにしている。

そうすると、昭和五一年四月一日から三五年学習指導要領が完全に失効し、右指導要領に基づく教科用図書が事実上発行される可能性はなくなるのであるから、被上告人が三五年学習指導要領に基づく本件教科書についてその検定処分を争つても事実上全く意味がないこととなるのであつて、この点からも、被上告人の訴えの利益は消滅するものといわなければならない。

三 なお、原審で、被上告人は、本件訴訟において具体的処分の違法のみならず、検定制度そのものの違憲をも主張しているのであつて、もし検定制度が違憲であるという理由によつて不合格処分が取り消されるということになれば、検定を経ることなく教科書を発行することができるのであるから、三五年学習指導要領の失効の問題とは別に訴えの利益があることは明らかである旨主張している(被上告人昭和四九年一一月二二日釈明書)。

しかし、検定制度そのものが合憲であることは、疑をさしはさむ余地がないから、右主張が理由のないものであることは明らかである。

(別表) 新規検定と部分改訂検定の相違

新規検定(全面改訂検定を含む)

部分改訂検定

申請の対象

新編集又は全体の四分の一ページを超える

全面改訂の申請(検定規則五、六、一一条)

図書の四分のページ未満についての申請

(検定規則一一条)

申請の様式

新規検定申請書に公正確保のため著者、

発行者を伏せた白表紙本を添付して申請する

(検定規則五条)。

改訂検定申請書に現に使用されている検定済本に

改訂箇所の新旧記述の区別を明らかにして申請する

(検定規則一〇条。)

検定審査料

原稿一ページにつき小学校の図書は一〇〇円(中学は一五〇円、高校は一八〇円)、二万円未満の場合は二万円(検定規則五条)

上記の半額(検定規則一〇条)

審査範囲

検定申請図書の全体

個々の改訂申請部分のみ

審査方法

審議会委員、教科書調査官、調査員の調査に付す。

原則として調査員の調査には付さない。他は上記に同じ。

合否判定の方法

評点方式により、図書自体の合否の判定を行う(検定基準の諸項目ごとに評点をつけて、総合点が八〇〇点以上の場合に合格とする。)

図書自体は既に合格しているので評点方式による合否判定は行わない。改訂しようとする箇所ごとに、改善であると認められる場合、その改訂申請を合格とする。

A意見・B意見の有無

欠陥の程度に応じてA又はB意見を付す。

原則としてA、B意見は付さない。

合否の通知

図書全体として合格又は不合格の通知を行う。

改訂申請の箇所ごとに合格(改訂許可)又は不合格(改訂不許可)の通知を行う。

行政処分の個数

全体として一個

改訂検定申請の箇所数と同じ数。

検定の表示

「○年○月○日文部省検定済」とする(検定基準実施細則第六章第四2(2))。

上記の表示と並べて「○年○月○日改訂検定済」とする(同上)。

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